プロフィール
格差と貧困が広がる中で、区民の営業とくらしをささえ、痛みをやわらげる政治が求められています。私は、福祉のケースワーカーとして働いた経験を生かし、区民の身近な相談相手として、また、安全・安心の区政実現のために全力をつくします。

大島芳江(おおしまよしえ)
1949年、千葉県野田市に生まれる。千葉県立東葛飾高校卒。足立区役所勤務。中部福祉事務所で生活保護や身体障害者のケースワーカーになる。職員労働組合の婦人部長、副部長を歴任。1983年 足立区議会議員に当選、連続7期、吉田区政時代に区議団長として支えがんばる。
私の歩んできた道
1949年〜ケースワーカー・学童保育運動

3歳の頃

小学校卒業のとき
1949年11月、千葉県野田市で生まれました。妹がひとりいます。写真は3歳の頃、家族と房総の海に出かけたとき(左)と、小学校卒業のとき(右)のものです。

新人研修会にて
1968年高校卒業後足立区役所に入りました。
1973年足立区関原にあった中部福祉事務所で福祉のケースワーカーとなりました。
福祉事務所にこられる方は、さまざまな問題や困難を抱え悩んでいました。私は、住民の立場にたち、ともに悩みながら、生活保護や、身体障害者のケースワーカーとして働きました。
日本共産党とめぐり合ったのもこの頃です。
写真(上)は、区役所に勤務はじめた頃、新人研修会で、千葉県の鋸山に行ったときのものです。区役所にいっしょに入区した同期の方たちの中には、現在の区の幹部職員になっている人もいます。今では懐かしい思い出です。写真(下右)は、ケースワーカーをしていた頃、関原の中部センター2階での会議の休憩中に撮ったものです。

千住にあった本庁舎の屋上で

ケースワーカーをしていた頃

自主運営の学童保育室前で
夫とともに、3人の子育てをしながら働きました。当時は、産休明けからの保育園がなかったため無認可保育室に預け、公立保育園に入ってからも保育時間が短かったために二重保育を頼み、子どもを自転車の前と後ろに乗せて、保育園の送り迎えをしました。
保育料の値上げ反対運動や、保育内容を充実させるための運動にも参加しました。学童保育所が足りなくて、2年生になると入れませんでした。地域の方たちといっしょに自主運営の「あばれんぼう学童保育室」をつくり運営しながら、学童保育室増設の運動を続けました。
当時、足立区役所職員労働組合の婦人部長なども務め、女性の社会参加や、地位向上などにも取り組みました。
